戯言吐溜

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選択的寿命制の話


このツイートを受けて。

自分は選択的寿命制が採用されていいとすら考えている。
希望した年齢や日付で安楽死させてもらうという話。
(もうすでに別の名前で世にでていそうだが)
自分で自分を制御できないままに生き長らえたくないと考える需要への回答としてありだと思っている。
もちろん、穴だらけのアイデアだ。明日死にたいが叶うのか、あまりにも若すぎる死の許容範囲は、生き長らえたい人へのフォローは…。
それでも、生き方が自由であるように死に方だって本人の意志が尊重されてよいだろう。

しかし現状は、本人の意思表示があったにも関わらず家族の希望で延命措置がとられたり。
本人の希望があったにも関わらず、臨終のさいに何故助けないのかとクレームを言う家族がいて言われる医者がいる。
本人の意思表示だけが尊重されるのは、それが死であるからなおさら厳しいようだ。
また、ツイートでは延命措置のなかで胃瘻をあげている。(本当は胃瘻にかぎった話題だったのかもしれない)
後期高齢者であれば、胃瘻つけてまで生きるのは辛い、という本人や家族の意志はわかる。
では、今日死にましょうができるのか、
では、若年層への配慮はどうすればいい。
では、家族に介護の意志がある場合は。
むずかしい。
とくに、娘や息子の死の選択を素直に受け入れられる親がいるだろうか。
白衣にすがりついてでも生かしてほしいと言ってしまう人もいるだろう。誤診なのではないかと疑う人もいるだろつ。そんな受け入れられない感情が歪み、訴訟だなんだという話にもなるかもしれない。

医者が背負うにはおもすぎる負担だ。

助けたかったが力が及ばず…と言うほうがはるかに簡単だ。
なんなら、生かすか殺すか選んでくださいというのも簡単だ。
本人は死を希望しているので措置させていただきます。と伝えることはどこまで配慮すればいいのだ。
余命宣告すら物議であるというのに。

また救急の現場でなら、救命が最優先でなければ救急で措置ができないだろう。
本人の意志を尊重して救命しなかったとしても、本当に助からなかったのかが問題になるだろう。
医療現場は、まだ、医者の意志(救命)が尊重されるべきなのかもしれない。

いや、救命と延命はちがうのか。

選択的寿命制じゃないにしろ、本人の意志で延命が決めれることが普及するまえに、
まず医者をまもる法整備が必要だということがわかった。